弘法大師の足跡を訪ねて
ここは南知多町大井漁港沖・聖崎。弘法大師が上陸する石像が建立されています。海岸べりの道から眺められ、
潮が引くと像まで歩いて行けます。今年は弘法大師が知多半島に上陸され、この地で教えを広められて1200年を
迎える記念の年です。讃岐に生まれた空海は、あまりにもこの地が四国に似ていることから「西浦や東浦あり
日間賀島 篠島かけて四国なるらん」という歌を詠んだとされています。
弘法大師は讃岐国、現在の香川県善通寺付近に生まれました。ここが善通寺と金毘羅さんから望む讃岐の町並み。
その弘法大師の御廟を信仰の源とする高野山真言宗の総本山金剛峯寺・奥之院には、信長の次男・織田信雄の
従兄である大野城主(常滑)の佐治一成に嫁いだ「お江」の五輪石塔があります。
お江の嫁いだ佐治一成が城主をつとめた大野城趾
何かと知多半島にも縁のある信仰の聖地を駆け足で巡ってみたいと思います。
高野山の入り口にそびえる大門
弘法大師の諡号は921年醍醐天皇から贈られました。その弘法大師・空海によって開かれた真言宗は「密教」と
いわれています。高野山の入り口には、闇夜に照らされた大門が美しくそびえていました。
金剛峯寺奥之院
参道脇には見上げるほど大きいお江の五輪石塔がありました。その大きさは奥之院の中でも一番で、隣には長女
千姫の供養墓もあります。しばらく進むと秀吉も眠る豊臣家の墓所を発見。秀吉は信長に続き高野攻めを行った
にも関わらず、興山応其上人の説得により高野攻めを止め、高野山を庇護するとともに復興興隆につとめました。
ほかには戦国武将、武田信玄・勝頼親子の墓もありますね。夕闇が迫ってきたので、弘法大師が修学の場所とした
壇上伽藍は次回にします。また知多半島で唯一高野山真言宗の喬正院(美浜町)にも出かけてみたいと思います。